父を討たれ曽我に育った兄弟
どんな伝承か
兄弟の父河津三郎祐泰は、伊東の豪族伊東祐親の子だった。平家全盛のころ、京に勤めていた工藤祐経の留守に、従兄弟の祐親がその領地を横取りし、訴訟でも半分しか取り戻せなかった祐経は恨みを抱く。安元二年十月、祐経は伊豆奥野の狩りから帰る祐親父子を部下に待ち伏せさせ、祐泰を殺した。母の万江御前は幼い一万と宮王を連れて小田原の曽我城主曽我祐信の後妻となり、二人は十郎・五郎として曽我を名乗る。兄弟は北条時政の妻の甥で政子とは従兄弟にあたり、有力御家人と縁続きだった。一度は頼朝に命を狙われ由比ヶ浜で斬られかけたが、畠山重忠と和田義盛の嘆願で許されたという。
原典より
さて河津三郎が工藤祐経に殺されたとき、妻の万江御前には河津の子一万(十郎)と宮王(五郎)とがいたが、…—— 神奈川の史実と伝説(小森良章・1975年(昭和50年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
神奈川の史実と伝説(小森良章・1975年(昭和50年))
『神奈川の史実と伝説』は、新聞記者から県政の仕事に転じた小森良章が昭和五十年に著した郷土史の読み物である。倭建命の東征から鎌倉幕府の滅亡までを範囲に、神奈川県内に残る伝説を十一の篇にまとめ、走水の弟橘姫や足柄山の金太郎などを取り上げる。各篇は伝承地を副題に掲げ、伝説とその背景にある史実を結びつけて語り、古事記や吾妻鏡などの記録を引きながら著者の推測も交えている。