立正安国論に記した国難の予言
どんな伝承か
日蓮の布教がわずかに信者を得はじめたころ、東国では大地震や暴風雨、疫病、大火、旱魃が相次ぎ、日食や月食も重なって大飢饉となった。日蓮は駿河国岩本の実相寺にこもって一切経を調べ、これらの災いが経典の説く三災七難のうち二災五難に当たると考えた。まだ起きていない兵乱の災いと、外国からの侵攻と内乱の難が必ず来ると説き、邪法を禁じて法華経を信じるよう求める『立正安国論』を書いて、文応元年七月十六日、前執権北条時頼に差し出した。その予言は数年のうちに二月騒動や二度の蒙古襲来として的中したとされる。
原典より
この『立正安国論』にのべられた日蓮の予言は、数年を経ずして次々と適中する。—— 神奈川の史実と伝説(小森良章・1975年(昭和50年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
神奈川の史実と伝説(小森良章・1975年(昭和50年))
『神奈川の史実と伝説』は、新聞記者から県政の仕事に転じた小森良章が昭和五十年に著した郷土史の読み物である。倭建命の東征から鎌倉幕府の滅亡までを範囲に、神奈川県内に残る伝説を十一の篇にまとめ、走水の弟橘姫や足柄山の金太郎などを取り上げる。各篇は伝承地を副題に掲げ、伝説とその背景にある史実を結びつけて語り、古事記や吾妻鏡などの記録を引きながら著者の推測も交えている。