松葉ヶ谷草庵の焼き討ちと相次ぐ法難
どんな伝承か
日蓮は念仏・真言・禅・律をことごとく退け、法華経のみが正法であると説いて折伏を続けたため、激しい反発を買い、石を投げられ草庵まで追い出された。文応元年(一二六〇)七月十六日、前執権北条時頼にあてて『立正安国論』を提出し、邪宗を禁じなければ兵革の災と他国侵逼・自界叛逆の難が起こると警告したが黙殺された。その一ヵ月ほど後、何者かが大挙して松葉ヶ谷の草庵を襲い、放火したうえ彼を殺そうとした。日蓮はいったん下総へ逃れ、翌年鎌倉に帰って辻説法を再開したが、念仏衆に訴えられて伊豆へ流罪となる。のちに帰郷した折も、地頭東条景信に小松原で襲撃され、弟子二人が討死した。
原典より
ばかりか彼が特に念仏を攻撃の最大目標にしたためか、一ヵ月ほどの後、何者かが大挙して松葉ヶ谷の草庵を襲い、放火したうえ彼を殺そうとまでしたのである。—— 神奈川の史実と伝説(小森良章・1975年(昭和50年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
神奈川の史実と伝説(小森良章・1975年(昭和50年))
『神奈川の史実と伝説』は、新聞記者から県政の仕事に転じた小森良章が昭和五十年に著した郷土史の読み物である。倭建命の東征から鎌倉幕府の滅亡までを範囲に、神奈川県内に残る伝説を十一の篇にまとめ、走水の弟橘姫や足柄山の金太郎などを取り上げる。各篇は伝承地を副題に掲げ、伝説とその背景にある史実を結びつけて語り、古事記や吾妻鏡などの記録を引きながら著者の推測も交えている。