弟橘媛と走水神社
どんな伝承か
日本武尊が東征の途中、相模から上総へ海を渡ろうとしたとき、海が荒れて船を出せなかった。走水の海に突き出た御所崎は、尊が御所を建てて一か月海をにらんで過ごした所といい、その背後には尊が旗を立てた旗山がある。焦る尊を見た妃の弟橘媛命は、海神の怒りを鎮めるため身代わりになると言い、波の上に萱と皮の敷物を重ねて歌を残し入水した。すると荒波はぴたりと静まり、船が滑るように進んだので、尊が水が走るようだと感嘆したのが走水の名の起こりという。侍女十人も姥島から身を投げて媛に殉じ、尊が村人に与えた冠を石櫃に納めて埋めた上に建てたのが走水神社だと伝える。
原典より
石楯尾神社の称宜の娘(相模原市大島) 一四二浦島寺の狸と夜泣き石(横浜市神奈川区) 一六五無量寺の不動明王(横浜市南区蒔田町) 一六九東樹院の文福茶釜(横浜市南区笹下町) 一七三—— 神奈川の伝説(谷川平夫(文)/読売新聞社横浜支局 編・1967年(昭和42年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
神奈川の伝説(谷川平夫(文)/読売新聞社横浜支局 編・1967年(昭和42年))
『神奈川の伝説』は、読売新聞社横浜支局が一九六七年に編んだ神奈川県内の伝説集である。読売新聞神奈川県民版に昭和四十年九月から四十二年八月まで八十回連載された「神奈川の伝説」のうち六十五回分を収め、文は谷川平夫記者が書き、伝説の地を訪ねて住職や古老に聞いた話と現在の様子を添える。樹木・石・塚・水・坂や島・屋敷址・社寺・禁忌・地名の部に話を分け、大藤時彦の序文と巻末の解説・索引を付ける。