老僕文三の与一誤殺
どんな伝承か
治承四年(一一八〇)八月の石橋山の合戦で、頼朝方の佐奈田与一義忠は平家方の俣野五郎景尚と闇夜に組み合った。与一は景尚を組み伏せたが、刀が鞘から抜けない。地元の言い伝えでは、与一は忠僕の文三家安を呼んだ。駆けつけた文三は暗くてどちらが主人かわからず、上か下かと尋ねたが、与一は格闘で息が切れ、痰が喉につかえて声が出ない。その隙に下の景尚が、上が景尚で下が与一だと叫んだため、文三は上にいた与一の首を斬ってしまったという。赤子のころから育てた主を誤って殺した文三は腹を切って果て、その霊を祀る文三堂が霊社の下の丘にある。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
神奈川の伝説(谷川平夫(文)/読売新聞社横浜支局 編・1967年(昭和42年))
『神奈川の伝説』は、読売新聞社横浜支局が一九六七年に編んだ神奈川県内の伝説集である。読売新聞神奈川県民版に昭和四十年九月から四十二年八月まで八十回連載された「神奈川の伝説」のうち六十五回分を収め、文は谷川平夫記者が書き、伝説の地を訪ねて住職や古老に聞いた話と現在の様子を添える。樹木・石・塚・水・坂や島・屋敷址・社寺・禁忌・地名の部に話を分け、大藤時彦の序文と巻末の解説・索引を付ける。