武光庄と御岳山だった武甲・三峰
どんな伝承か
武甲山は石灰岩の採掘で姿を変えつつあるが、昔はこの山を拝むために秩父大宮明神ができ、門前町が栄えた。山の名は、東征の途中の大和武尊が山に登り、岩蔵に武具や甲冑を納めて武運を祈ったことに由来すると伝わり、尊が食事をした所を飯盛山と呼ぶが、著者は地名に付会した後世の作とみる。『新編武蔵風土記稿』の武光庄の村々を地図に当てると、秩父の荒川沿いから三峰山、正丸峠や粥新田峠の向こうにまで及び、著者は三峰への参詣路を管理した村々ではないかとみた。そして三峰も武甲もともに神の棲む御岳山で、秩父から見て三峰が奥の御岳、武甲が向こうの御岳だったと推論している。
原典より
発音が同じだから、どちらでもいいようなものだが、それが武甲山という文字を使うようになったのは、むかし東征途中の、大和武尊がこの山に登り、岩蔵に武具甲冑をおさめて武運を祈願したので、…—— 秩父・奥武蔵伝説たわむれ紀行(神山弘・1984年(昭和59年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
秩父・奥武蔵伝説たわむれ紀行(神山弘・1984年(昭和59年))
『秩父・奥武蔵伝説たわむれ紀行』は、神山弘が一九八四年に著した伝説探訪の紀行である。越辺川の流域や高麗郷、富士山のある村々、竹寺、武甲山と三峰山、宝登山、釜伏峠と粥新田峠など埼玉県西部の山村を歩き、土地の古老からの聞き書きと『新編武蔵風土記稿』などの記録を交えて、竜や大蛇、天狗、幽霊、将門などの伝説を語る。土地ごとの章に小見出しを立てた随筆体で、著者の前著『ものがたり奥武蔵』で扱わなかった土地を主にとりあげる。