小倉太鼓祇園の神幸と太鼓の打ち方
どんな伝承か
小倉北区の八坂神社(昭和十一年に現在地へ移る前は鋳物師町にあった)の祇園祭は俗に太鼓祇園と呼ばれ、七月十日から三日間営まれる。もとは旧暦六月十一日からの祭礼で、藩主が祭主であったため格式は厳しく、町奉行が「踊り行事」役を任命し、勤務中は町人にも帯刀が許された。初日は神輿が鋳物師町の本殿を出て、城内三ノ丸から三本松の浮殿へ、かつては愛宕山へも神幸した。各町の山車や踊り屋台が行列を組んで城下を巡り、三日目には湯立神楽で締めくくる。太鼓は欅の胴に両面を張り分け、甲高い「カン」と鈍い「ドロ」を打ち分けるのが特徴で、彫刻を施した太鼓台車は明治末から大正初期にできたものと伝わる。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
北九州市史 民俗(北九州市・北九州市史)
『北九州市史 民俗』は、北九州市が編んだ市史の民俗編である。ここに収めるのはその第三編「信仰伝承」第一章「信仰」の第二節以降で、門司・小倉・若松・八幡・戸畑の各区に伝わる聖地と忌地、神仏信仰、神事と法会、巡礼、巫者・祈禱師、信仰集団、狐憑きや犬神などの憑霊・霊異現象を記す。節ごとに地区と地名を挙げて事例を並べる編み方で、祟る石や産女石、落人の墓なども忌地の項に見える。