後深草院の皇子とも伝わる梅皇子塚
どんな伝承か
小川町大塚にはかつて梅皇子塚という塚があり、『新編武蔵風土記稿』は村の北にある六尺四方ほどの塚で、梵字だけが読める折れた碑が立ち、昔はもっと大きかったが後に削られたと記す。梅皇子は後深草院の第三皇子とも、鎌倉九代将軍守邦親王の庶子ともいわれ、正元元年にこの地へ下り永仁三年に亡くなったと伝える。大梅寺の勧進録は守邦親王その人とし、乳母も殉じて傍らに葬られたという。大塚の八幡社は皇子の霊を祀り、大梅寺は皇子の建立と伝わる。明治十五年に県が陵墓として調べたが系譜は分からず、塚は昭和十六年に工場の疎開で整地され地中に埋もれた。
原典より
正元元年(一二五九)同皇子は故あってこの大塚に下向し、永仁三年(一二九五)薨したといわれる。—— 埼玉県伝説集成——分類と解説 中(韮塚一三郎・埼玉県伝説集成) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
埼玉県伝説集成——分類と解説 中(韮塚一三郎・埼玉県伝説集成)
『埼玉県伝説集成——分類と解説 中』は、韮塚一三郎が編んだ埼玉県の伝説集の中巻で、上中下三巻のうち歴史伝説を収める。地名・屋敷・家系・聖地・城や堤や橋・神仏・神体と宝物・偉業・事件と紛争の九章に分け、県内各地の伝説を『新篇武蔵風土記稿』などの文献と土地の人からの聞き取りによって集めている。一話ごとに所在地と出典または資料提供者を記し、同じ類型の話をまとめた後に柳田国男らの説を引く〈解説〉を置く。