討死した城主を祀る寿能城の物見塚
どんな伝承か
寿能城の本城の跡に、高さ二間、径三間ほどの物見塚がある。塚の上には、北沢治部左衛門の先祖宮内が遙拝のために建てたという潮田出羽守資忠の墓碑が立ち、裏には元文三年に潮田勘右衛門資方が記した銘が刻まれている。『新編武蔵風土記稿』によれば、資忠が天正十八年四月十八日に小田原で討死したため、家臣の北沢宮内が城地にこの塚を営み、祭りを絶やさなかったという。『武蔵国郡村誌』には、遺骸が見つからなかったので塚を勧請して鎮守とし、表立って出羽守塚とは呼びにくいので鎮守稲荷と称したとある。
原典より
寿能城の本城の跡に物見塚というものがある。—— 埼玉県伝説集成——分類と解説 中(韮塚一三郎・埼玉県伝説集成) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
埼玉県伝説集成——分類と解説 中(韮塚一三郎・埼玉県伝説集成)
『埼玉県伝説集成——分類と解説 中』は、韮塚一三郎が編んだ埼玉県の伝説集の中巻で、上中下三巻のうち歴史伝説を収める。地名・屋敷・家系・聖地・城や堤や橋・神仏・神体と宝物・偉業・事件と紛争の九章に分け、県内各地の伝説を『新篇武蔵風土記稿』などの文献と土地の人からの聞き取りによって集めている。一話ごとに所在地と出典または資料提供者を記し、同じ類型の話をまとめた後に柳田国男らの説を引く〈解説〉を置く。