亡き人に逢えるミミラクの島
どんな伝承か
ミミラクの島という地名は、肥前国松浦の崎にあると『散木奇歌集』にうたわれ、『続日本後紀』承和四年の条には遣唐使の船がこの島に泊まったとあって、当時は五島列島北部の海岸を指していた。そこへ行けば亡くなった人に会えるという言い伝えがあったらしい。柳田は、そうした空想上の島の名がもとからあったからこそ、日本の西の突端で外国に最も近く、大陸へ渡る船が必ず立ち寄る岬を、新たにミミラクの崎と呼んだのではないかと考え、下五島北岸の同名の崎はそれにもとづいて後から生まれたものだろうと推している。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
定本柳田国男集 第1巻(柳田国男・定本柳田国男集)
『定本柳田国男集 第1巻』は、柳田国男の著作を集めた著作集の一巻である。椰子の実の漂着から日本人の渡来と稲作を海の道に求める論考と、海神宮考・みろくの船・根の國の話・寶貝のこと・稻の産屋などの諸篇、大正期の南島旅行に基づく『海南小記』、昭和二十六年八月の自序をもつ『島の人生』を収める。いずれも海と島を舞台に、ニライカナイや宝貝、漂着や島の復興をめぐる民俗と歴史を論じている。