永代橋を出た八十日の流刑船
どんな伝承か
近藤富蔵が人を殺した罪で伊豆の八丈島へ島流しになったのは文政十年四月二十六日である。船は江戸の永代橋の川口を出て、途中三崎に寄り、三宅島で長い日和待ちをした。八丈島に着いたのは閏六月の某日で、海の上でおよそ八十日を費やした計算になる。もっともこの時代の航海では、それほど珍しい日数ではなかったという。富蔵はこののち島に長くとどまり、他に例を見ないほど綿密な八丈島流人帳を書き残すことになる。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
定本柳田国男集 第1巻(柳田国男・定本柳田国男集)
『定本柳田国男集 第1巻』は、柳田国男の著作を集めた著作集の一巻である。椰子の実の漂着から日本人の渡来と稲作を海の道に求める論考と、海神宮考・みろくの船・根の國の話・寶貝のこと・稻の産屋などの諸篇、大正期の南島旅行に基づく『海南小記』、昭和二十六年八月の自序をもつ『島の人生』を収める。いずれも海と島を舞台に、ニライカナイや宝貝、漂着や島の復興をめぐる民俗と歴史を論じている。