遊女花鳥と佐原喜三郎の脱島
どんな伝承か
二人目の遊女流人は花鳥といい、近藤富蔵の翌年に八丈島へ来た。罪は放火で、まだ十五歳であった。二十六の年に村上無宿の万吉、下総佐原村の百姓喜三郎、大倉村無宿の茂八らと共謀して抜け舟を試み、これは首尾よく成功している。この一件はのちに尾ひれをつけて講釈師などが語り伝えたが、佐原の喜三郎は実際には二年足らずしか島にいなかったから、花鳥と知り合ったのも島へ来てからのことであった。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
定本柳田国男集 第1巻(柳田国男・定本柳田国男集)
『定本柳田国男集 第1巻』は、柳田国男の著作を集めた著作集の一巻である。椰子の実の漂着から日本人の渡来と稲作を海の道に求める論考と、海神宮考・みろくの船・根の國の話・寶貝のこと・稻の産屋などの諸篇、大正期の南島旅行に基づく『海南小記』、昭和二十六年八月の自序をもつ『島の人生』を収める。いずれも海と島を舞台に、ニライカナイや宝貝、漂着や島の復興をめぐる民俗と歴史を論じている。