女流人よせ・さきの初流罪
どんな伝承か
八丈島の女の流人は、文政十年ごろで全島に十九人しかいなかった。幕末までの四十年間にさらに二十九人が送られ、記録に名の見える者は前後で六十七人になる。浮田氏に従った二人の女中を別にすれば、正式の流人として最初に来たのは吹上御広敷茶之間の仕女、よせとさきの両名であった。京都の女官が赦されて還ってから百十年ほど過ぎた元文二年のことである。はじめは士分の家の者に限ろうとしたらしいが、やがて百姓町人の妻や召仕、飯売女や無宿女までが混じるようになった。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
定本柳田国男集 第1巻(柳田国男・定本柳田国男集)
『定本柳田国男集 第1巻』は、柳田国男の著作を集めた著作集の一巻である。椰子の実の漂着から日本人の渡来と稲作を海の道に求める論考と、海神宮考・みろくの船・根の國の話・寶貝のこと・稻の産屋などの諸篇、大正期の南島旅行に基づく『海南小記』、昭和二十六年八月の自序をもつ『島の人生』を収める。いずれも海と島を舞台に、ニライカナイや宝貝、漂着や島の復興をめぐる民俗と歴史を論じている。