煙と砂を吐いた青ヶ島の池の沢
どんな伝承か
青ヶ島そのものが噴火によってできた島だが、人が住み着いてからは大きな活動の記憶がなかった。承応元年の辰の年、地の底が激しく焼けめぐり、あちこちから煙が上がったものの、火を噴き出すまでには至らなかったという。それから十八年後の寛文十年には、大池の底が細かな砂を吐き出し、それが十年ものあいだ止まなかった。ただし草木の育ちを損なうほどではなかったらしく、神土のまわりには大木が多かったと記録は伝える。島で池の沢と呼ぶ旧火口原の盆地には、周囲七、八町の深い池があり、その一帯が島人の主な作場だった。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
定本柳田国男集 第1巻(柳田国男・定本柳田国男集)
『定本柳田国男集 第1巻』は、柳田国男の著作を集めた著作集の一巻である。椰子の実の漂着から日本人の渡来と稲作を海の道に求める論考と、海神宮考・みろくの船・根の國の話・寶貝のこと・稻の産屋などの諸篇、大正期の南島旅行に基づく『海南小記』、昭和二十六年八月の自序をもつ『島の人生』を収める。いずれも海と島を舞台に、ニライカナイや宝貝、漂着や島の復興をめぐる民俗と歴史を論じている。