熱湯に沈んだ青ヶ島の作場と飲水難
どんな伝承か
安永九年の噴出で池が満水し、島民の作場は熱湯の下になった。甘藷は風の無い暖地を択んで池のまわりに仕付けたものが皆無となり、里芋も谷底の平場に植えていたので取れなくなった。桑も木綿も池の近くばかりだったので枯失し、御年貢の養蚕も難しくなった。それより更に困ったのは飲水で、以前の井戸はいずれも低い所にあったため池が溢れると使えなくなり、急いで掘ってもどの水も塩気があった。名主の七太夫、神主豊後以下の連署で、この月一杯ほどで食う物が無くなりそうだと八丈の島役人へ訴え出ている。池の底の熱水はなかなか満ち止まりそうになかった。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
定本柳田国男集 第1巻(柳田国男・定本柳田国男集)
『定本柳田国男集 第1巻』は、柳田国男の著作を集めた著作集の一巻である。椰子の実の漂着から日本人の渡来と稲作を海の道に求める論考と、海神宮考・みろくの船・根の國の話・寶貝のこと・稻の産屋などの諸篇、大正期の南島旅行に基づく『海南小記』、昭和二十六年八月の自序をもつ『島の人生』を収める。いずれも海と島を舞台に、ニライカナイや宝貝、漂着や島の復興をめぐる民俗と歴史を論じている。