白糸を積んだ名主嘉兵衛の遭難
どんな伝承か
青ヶ島の名主の家は、大噴火のときまでに八代続いていた。四代目の嘉兵衛は五か年分の年貢の白糸を船に積み、八丈島へ運ぼうとして海上で遭難し、行方知れずになった。寛永二十年のことであるから、島が開かれたおおよその年代も察しがつく。その先代にあたる父の与五衛門もまた、海の上で行方が分からなくなったと伝えられる。名主の役を務めおおせることは、平穏な年ですら決して楽ではなかったのである。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
定本柳田国男集 第1巻(柳田国男・定本柳田国男集)
『定本柳田国男集 第1巻』は、柳田国男の著作を集めた著作集の一巻である。椰子の実の漂着から日本人の渡来と稲作を海の道に求める論考と、海神宮考・みろくの船・根の國の話・寶貝のこと・稻の産屋などの諸篇、大正期の南島旅行に基づく『海南小記』、昭和二十六年八月の自序をもつ『島の人生』を収める。いずれも海と島を舞台に、ニライカナイや宝貝、漂着や島の復興をめぐる民俗と歴史を論じている。