志摩鳥羽まで流された救助船
どんな伝承か
安永九年の青ヶ島の急を聞いた八丈島では、八月八日に大賀郷の年寄役忠次郎が見分に渡った。八丈に蓄えてあった御用米の残りも、このとき救助のために送られている。ところが忠次郎の船は見分を終えた帰り、悪風に遭って八月十九日に安房の内浦へ流れ着いた。前例どおり江戸へ回そうと浦々の引き船で進んだが、引き船と離れると風向きがまた崩れ、二十四日には志摩国鳥羽湊まで流された。城主稲垣摂津守にいろいろ世話を受け、浦状をもらって九月に出帆し、十月四日にようやく八丈へ帰り着いた。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
定本柳田国男集 第1巻(柳田国男・定本柳田国男集)
『定本柳田国男集 第1巻』は、柳田国男の著作を集めた著作集の一巻である。椰子の実の漂着から日本人の渡来と稲作を海の道に求める論考と、海神宮考・みろくの船・根の國の話・寶貝のこと・稻の産屋などの諸篇、大正期の南島旅行に基づく『海南小記』、昭和二十六年八月の自序をもつ『島の人生』を収める。いずれも海と島を舞台に、ニライカナイや宝貝、漂着や島の復興をめぐる民俗と歴史を論じている。