高村三右衛門の五百両義捐
どんな伝承か
青ヶ島の避難民は八丈島に来て、それぞれ知る辺の家を頼って住んでいたが、いずれも衣食に窮乏していた。その中で大きな力となったのが、三根村の百姓高村三右衛門の敏活な決意である。三右衛門はこの時齢四十二歳、祖父の代には御船年寄を勤めていた。物々交換を主とした島の社会ではかなりの大金である五百両を投げ出し、これを官府に託して、その利子をもって罹災民の救助に宛てることを求めた。青ヶ島噴火の翌年早々のことで、天明八年の孝義録にはその名が掲げられた。青ヶ島の人々はこの基金を頼りに、もう一度島へ戻る勇気を起こしたようである。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
定本柳田国男集 第1巻(柳田国男・定本柳田国男集)
『定本柳田国男集 第1巻』は、柳田国男の著作を集めた著作集の一巻である。椰子の実の漂着から日本人の渡来と稲作を海の道に求める論考と、海神宮考・みろくの船・根の國の話・寶貝のこと・稻の産屋などの諸篇、大正期の南島旅行に基づく『海南小記』、昭和二十六年八月の自序をもつ『島の人生』を収める。いずれも海と島を舞台に、ニライカナイや宝貝、漂着や島の復興をめぐる民俗と歴史を論じている。