名主次郎太夫の還住事業と申合せ
どんな伝承か
名主次郎太夫は文政六年、組頭太郎右衛門・百姓長次郎とともに青ヶ島に渡って地ならしに着手し、以後段々に人を渡らせて還住事業を進めた。天保四年の申合せでは、まず道普請を第一とし全島を六組に分けて小頭を置き、西浦及び神子浦の二箇所に船着場を設けて連絡通路を開いた。翌年には西浦・神子浦の船着の傍に荷物蔵を建て、名主宅を新造して会所とした。伐開棟梁に彦右衛門、漁棟梁に徳右衛門を任じ、取締役年寄には太兵衛を指命して、鰹節は三年間島中に囲うよう定めるなど、堅実な計画のもとで公共のために力を尽くさせたという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
定本柳田国男集 第1巻(柳田国男・定本柳田国男集)
柳田国男編『定本柳田国男集 第1巻』を全451話・伝説(1見出し=1話)単位で収録(緒言・序・名義・解説・和歌・注は除外/内包)。所在地(郡村区・社寺)を付して集成。