種穀を積んだ五人の海上遭難
どんな伝承か
寛政五年七月十二日、名主三九郎は十九人を連れ、穀物と農具を積んで三たび青ヶ島へ渡った。小屋を掛けて十二人を島に残し、自分たちは八丈へ戻る。ところが翌八月、種もみが足りないというので島から五人が八丈へ渡ろうとし、そのまま海上で行方が分からなくなった。翌年四月には二艘の船が食料を積んで渡ったが、着いた先で大時化に遭って船を流されてしまう。やむなく焼け灰に埋もれた家を掘り起こし、農具を打ち直して釘を取り、一艘の小舟を仕立てて六月にようやく八丈へ帰り着いた。一行十三人の中には三九郎もいた。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
定本柳田国男集 第1巻(柳田国男・定本柳田国男集)
『定本柳田国男集 第1巻』は、柳田国男の著作を集めた著作集の一巻である。椰子の実の漂着から日本人の渡来と稲作を海の道に求める論考と、海神宮考・みろくの船・根の國の話・寶貝のこと・稻の産屋などの諸篇、大正期の南島旅行に基づく『海南小記』、昭和二十六年八月の自序をもつ『島の人生』を収める。いずれも海と島を舞台に、ニライカナイや宝貝、漂着や島の復興をめぐる民俗と歴史を論じている。