大飢饉に穀物を施す嘉門長者
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どんな伝承か
高山嘉門長者の家は長髄彦の兄安日の末と伝える。安日は弟の罪により東奥へ追われ、子孫は津軽に住んだ。斉明天皇の代、安日の後胤安東は安倍比羅夫の陣に加わって功を挙げ、安倍の姓を賜ったという。その末葉が安倍頼時で、嫡男の日井は生まれながら盲目のため家を継がず、その子高日が伊沢に住んだ。高日は祖父頼時の逆意に与しなかったため罪を免れ、そのまま胆沢に住み続けた。子孫は文治の平泉没落にも障りなく富み栄え、高山殿と呼ばれた。後深草院の正元元年、国中が大飢饉となり翌申年まで餓死する者が数知れず、慈悲深い嘉門長者は日々莫大な穀物を施し、万民がその厚徳を仰いだと伝える。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
胆沢町史 11(民俗編4)――口承・伝説(胆沢町(編)・胆沢町史・自治体史(民俗))
岩手県胆沢町の伝説・昔話を網羅する。第一節は高山掃部長者と松浦佐用姫の物語で、薬師如来本地松浦佐夜姫誕生記、高山掃部長者竹生嶋弁財天胆沢物語、『南部叢書』所載の奥州胆沢高山実伝(高山稲荷の由来、嘉門長者の妻が嫉妬で大蛇に化し止々井の大堤に隠れて人を害し、美女を牲に供える年番が定められ、遠州小夜の中山から小夜姫が身売りして奥州に下り、牲に上るが神明仏陀の冥助で害を免れ大蛇の骨角を埋葬、潟岸薬師・諏訪明神を祀る)など複数の版と考証を収める。
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