杉の高燈籠が立ち並ぶ盆の村
どんな伝承か
陸中に入ると、昔風の高燈籠を次第に見かけるようになる。寺の境内に立てた高い柱には、盆の間は白い幡を掲げる例もあるが、尋常の民家の燈籠木はいずれも尖端を十字にし、杉の小枝を三房結わえてある。以前はその木が必ず杉であったことを示すもので、村によっては今なお天然の杉の木を、梢ばかり残して柱にしている。今では不幸のあった翌々年の盆までこの燈籠を揚げる習いで、空を往来する精霊のためには誠に便利な澪標であった。閉伊の吉里吉里の村などは、小高い所から振り返って見ると、ほとんど一戸として燈籠の木を立てぬ家がない。どうしてこれほど夥しい数かと思うと、やはり昨年の流行感冒のためであった。
原典より
江戸では青山邊の御家人等が、近世まで盆の月には高燈籠を揚げて居た。—— 定本柳田国男集 第2巻(柳田国男・定本柳田国男集) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
定本柳田国男集 第2巻(柳田国男・定本柳田国男集)
『定本柳田国男集 第2巻』は、柳田国男の紀行と旅の随筆を収めた著作集の一巻である。昭和三年一月の自序に続く「雪国の春」や菅江真澄の日記を読み解く文をはじめ、東北の村々の正月、火と炭、浜の暮らしの見聞、「秋風帖」「東国古道記」、昭和十五年十一月の自序を持つ「豆の葉と太陽」などの紀行を並べる。峠や古道、佐渡・五箇山・熊野などの土地を、住む人の暮らしと信仰から見ようとする文が多い。