連歌の縁で松平家に入った聖の息子
どんな伝承か
松平の代々の太郎左衛門の一人に、連歌の好きな老人があった。その頃、大浜の称名寺の念仏圏の中に何阿弥とかいう聖坊主がいて、折々招かれて来ては相手をした。時衆には珍しい人品で、諸国を行脚していたので話が面白かった。生まれは遠い上州だと言ったが、誰も身元を調べたのではない。普通でなかったのは息子を一人連れていたことで、それがまた発明で器量の好い青年であり、素朴な松平の人々に愛された。ともかくもこうした和合が元になって、所望されて入婿となり、その間に生まれたのが紛れもなく徳川公爵の先祖であるという。
原典より
兎に角に斯う云ふ和合が元になつて、所望せられて入婿となり其間に生れたのが、紛れも無い徳川公爵の先祖である。—— 定本柳田国男集 第2巻(柳田国男・定本柳田国男集) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
定本柳田国男集 第2巻(柳田国男・定本柳田国男集)
『定本柳田国男集 第2巻』は、柳田国男の紀行と旅の随筆を収めた著作集の一巻である。昭和三年一月の自序に続く「雪国の春」や菅江真澄の日記を読み解く文をはじめ、東北の村々の正月、火と炭、浜の暮らしの見聞、「秋風帖」「東国古道記」、昭和十五年十一月の自序を持つ「豆の葉と太陽」などの紀行を並べる。峠や古道、佐渡・五箇山・熊野などの土地を、住む人の暮らしと信仰から見ようとする文が多い。