潜り手が絶えた佐渡の鮑漁
どんな伝承か
佐渡は近世に多量の海産物を出したことがある。中でも干鮑は、長崎商売の売渡品となるよりも遙か以前から、この国の重要物産の一つとして公にも認められていた。鮑ばかりは誰でも採るというわけには行かない。それだけでも海士部が古くから居たことを証拠立てる。しかもその鮑も今では著しく産額が減じ、これを採るべく海に潜る者は、相川の海士町にももはや居なくなったようである。
原典より
地曳網や磯釣だけならば海岸に住む人民は皆遣るが、水に潜る作業は今日でもまだ専門の技藝になつて居る。—— 定本柳田国男集 第2巻(柳田国男・定本柳田国男集) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
定本柳田国男集 第2巻(柳田国男・定本柳田国男集)
『定本柳田国男集 第2巻』は、柳田国男の紀行と旅の随筆を収めた著作集の一巻である。昭和三年一月の自序に続く「雪国の春」や菅江真澄の日記を読み解く文をはじめ、東北の村々の正月、火と炭、浜の暮らしの見聞、「秋風帖」「東国古道記」、昭和十五年十一月の自序を持つ「豆の葉と太陽」などの紀行を並べる。峠や古道、佐渡・五箇山・熊野などの土地を、住む人の暮らしと信仰から見ようとする文が多い。