薄の穂が証した真澄の松島行
どんな伝承か
豊橋の植田家に保存されていた文書の中から、美濃紙に包んだ薄の穂が一本見つかった。上書には天明七年十一月七日、陸奥真野萱原の尾花、白井英二生より送り来るとある。真野萱原は万葉集以来の歌名所で、その故跡と称するものが奥州には数箇所あるうち、最も広く知られているのは今の宮城県石ノ巻湊の付近にあるものである。白井英二は菅江真澄の本名で、天明七年の夏以後の日記は欠けており、その半年ほどどこを旅していたか記録が見つかっていなかった。後日しばしば松島や仙台の話が出るので、その頃あの方面を歩いていたのだろうと推察していたが、たった一本の薄の穂によってそれがほぼ確かめられたのだと柳田は語る。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
定本柳田国男集 第3巻(柳田国男・定本柳田国男集)
『定本柳田国男集 第3巻』は、柳田国男の紀行・日記・随筆を集めた著作集の一巻である。相模・武蔵の村々を歩いた「水曜手帖」、昭和二十三年八月の自序を持つ「北国紀行」、明治四十三年の「五十年前の伊豆日記」、国際聯盟の委任統治委員会に勤めた大正十一年の「瑞西日記」と「ジュネーブの思ひ出 その他」を収める。後半の「菅江真澄」は昭和十七年二月の序を付け、真澄の著述と旅の跡を年を追ってたどり、写真解説を添える。