梅沢で病み角館で果てた旅の学者
どんな伝承か
真澄の最後の秋田領での二十年ばかりは紀行も書き残されていないが、その間は藩庁の委嘱を受けて、新たな風土誌を作るべく領内の各村を巡っていた。月の出羽路、雪の出羽路は今の世にもなお珍とすべき実地踏査の地誌であったが、事業があまりに雄大で、彼の齢はあまりに傾いていたため、ついに未完成のまま終わらねばならなかった。文政十二年の七月、仙北郡梅沢という村にあって病を得、角館神明社の神職鈴木氏の家に来て、十九日に亡くなった。かねて遺命を受けた秋田の門人鎌田正家らが、他の同志とともに柩を奉じて還り、寺内山の自分の墓域に葬った。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
定本柳田国男集 第3巻(柳田国男・定本柳田国男集)
『定本柳田国男集 第3巻』は、柳田国男の紀行・日記・随筆を集めた著作集の一巻である。相模・武蔵の村々を歩いた「水曜手帖」、昭和二十三年八月の自序を持つ「北国紀行」、明治四十三年の「五十年前の伊豆日記」、国際聯盟の委任統治委員会に勤めた大正十一年の「瑞西日記」と「ジュネーブの思ひ出 その他」を収める。後半の「菅江真澄」は昭和十七年二月の序を付け、真澄の著述と旅の跡を年を追ってたどり、写真解説を添える。