名主七太夫の客死と家の断絶
どんな伝承か
八丈へ逃れた青ヶ島の人々の辛苦は、記録に残る以上のものだったらしい。代々の名主であった七太夫は老人で、八丈へ来てから三、四年のうちに世を去り、伊勢崎と呼ばれた佐々木氏の本家はそこで絶えてしまった。跡を嗣いで、村の無い青ヶ島の名主となったのが三九郎である。三九郎の家筋は分からないが、天明五年三月二十九日の届書に総百姓代として連署しているのが同人らしく、前の名主と同道して八丈へ渡り、初めから艱難を共にしたものと見える。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
定本柳田国男集 第1巻(柳田国男・定本柳田国男集)
『定本柳田国男集 第1巻』は、柳田国男の著作を集めた著作集の一巻である。椰子の実の漂着から日本人の渡来と稲作を海の道に求める論考と、海神宮考・みろくの船・根の國の話・寶貝のこと・稻の産屋などの諸篇、大正期の南島旅行に基づく『海南小記』、昭和二十六年八月の自序をもつ『島の人生』を収める。いずれも海と島を舞台に、ニライカナイや宝貝、漂着や島の復興をめぐる民俗と歴史を論じている。