松前から届いた鶴の羽一枚
どんな伝承か
菅江真澄(白井英二秀雄)は、家を出たのちも郷里三河吉田の植田義方と二十年余り文通を続けていた。植田家に残された品の一つに、紙に包んだ鳥の羽が一枚あり、上書きには松前の鶴の羽で、天明八年十一月一日に届いたと記されている。真澄はこの年の七月十三日の夜に松前へ渡っており、その後に送ってきたものである。柳田国男は初め、渡海を前に津軽の浜で拾った羽だろうと話していたが、上書きを見直して松前の羽と分かり訂正した。他国者の上陸が許されず、友もなく憂いの日々を送った真澄が、浜辺で拾った羽を故郷の旧友へ送ったのだろうと柳田は思いやっている。
原典より
第三の資料としては、是も紙に包んだ鳥の羽が一枚、其うは書きには「天明八年十一月一日至、白井英二贈之、松前の鶴の思ひ羽」とある。—— 定本柳田国男集 第3巻(柳田国男・定本柳田国男集) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
定本柳田国男集 第3巻(柳田国男・定本柳田国男集)
『定本柳田国男集 第3巻』は、柳田国男の紀行・日記・随筆を集めた著作集の一巻である。相模・武蔵の村々を歩いた「水曜手帖」、昭和二十三年八月の自序を持つ「北国紀行」、明治四十三年の「五十年前の伊豆日記」、国際聯盟の委任統治委員会に勤めた大正十一年の「瑞西日記」と「ジュネーブの思ひ出 その他」を収める。後半の「菅江真澄」は昭和十七年二月の序を付け、真澄の著述と旅の跡を年を追ってたどり、写真解説を添える。