本洗馬で聞いた浅間山の爆発音
どんな伝承か
天明三年五月十四日、菅江真澄(白井秀雄)は小野から塩尻へ出て桔梗が原を経、本洗馬(東筑摩郡洗馬村)に入って長興寺の洞月上人を訪ね、そのまま滞留した。熊谷直堅や医の養親らと唱和し、十九日には医の可児永通を訪ねている。六月には岩垂の岩垂氏を訪ねて一宿し、松本の医師沢辺雲夢に消息した。七月二日、浅間山爆発の音がここまで聞こえ、八日にはさらに烈しかった。九日には二子村へ行って某因信の家に宿し、十二日に本洗馬へ還った。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
定本柳田国男集 第3巻(柳田国男・定本柳田国男集)
『定本柳田国男集 第3巻』は、柳田国男の紀行・日記・随筆を集めた著作集の一巻である。相模・武蔵の村々を歩いた「水曜手帖」、昭和二十三年八月の自序を持つ「北国紀行」、明治四十三年の「五十年前の伊豆日記」、国際聯盟の委任統治委員会に勤めた大正十一年の「瑞西日記」と「ジュネーブの思ひ出 その他」を収める。後半の「菅江真澄」は昭和十七年二月の序を付け、真澄の著述と旅の跡を年を追ってたどり、写真解説を添える。