濃霧の中で始まった八王子城の攻防
どんな伝承か
天正十八年、八王子城主北条氏照は小田原の評定に出て居城を留守にしていた。城内でも和戦の議論が割れたが、主君が本城に殉ずる以上、留守を預かる者は籠城して一戦すべきだという声が勝ち、横地監物吉信・中山勘解由家範・狩野小幡禅門一庵・金子三郎左衛門尉家重・近藤出羽守助実らが立てこもった。豊臣方は前田利家と上杉景勝の連合軍一万五千。六月二十二日夜に横山口へ寄せ、翌二十三日払暁に総攻撃をかける。この朝は濃い霧が立ちこめ、城兵は敵の接近に気づかず、霧を割いて撃ち込まれた銃声で初めてそれと知ったという。以後、城山は激しい乱戦の場となった。
原典より
天正十八年(皇紀二二五〇年)は、小田原の北條氏にとつて浮沈を決する重大な年であつた。—— 行楽と史蹟の武蔵野(寺島裕・昭和初期(1920年代~1930年代)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
行楽と史蹟の武蔵野(寺島裕・昭和初期(1920年代~1930年代))