桝形城の落城と稲毛重成の滅亡
どんな伝承か
桝形山に城を築き、稲毛庄五十七か村を領した稲毛三郎重成は、小山田有重の嫡子で、北条時政の娘で頼朝の妻政子の妹にあたる綾子姫を妻とし、鎌倉幕府の侍大将として木曽義仲の追討や平家討滅に功を立てた。しかし頼朝の死後、妻の綾子姫もすでに世を去り、時政が名望ある畠山重忠を鶴ヶ峰で倒すと、もはや重成は邪魔者でしかなくなった。元久二年六月、時政は重忠を討った兵をそのまま進めて桝形城を囲み、二日にわたる激戦の末に城は落ちた。子の小沢次郎重政は宇佐美与一郎に、重成は大河戸三郎に討たれ、稲毛氏は六月二十四日に滅んだ。
原典より
其所で彼は、元久二年(皇紀一八六五年)六月、重忠を斃した兵を更に進めて之を桝形城に包園し、二日に亙る激戰の後遂に城を落し、…—— 行楽と史蹟の武蔵野(寺島裕・1937年(昭和12年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
行楽と史蹟の武蔵野(寺島裕・1937年(昭和12年))
『行楽と史蹟の武蔵野』は、寺島裕が昭和十二年に著し、新生堂から発行した武蔵野の史跡探訪記である。狭山丘や山口貯水池の周辺から、行田・粕壁・生田・淀橋・中野・柴又・多摩御陵などの社寺、城址、古戦場、塚を歩いて訪ね、交通の便とともに由緒や伝説を記す。小橋一太と新井堯爾の序文、著者の自序を巻頭に置き、前著「史蹟の武蔵野を探ねて」に続く行楽案内として土地ごとの短い節を連ねる。