北条時政を烏帽子親とした曽我五郎
どんな伝承か
曽我兄弟の父河津三郎が工藤祐経に討たれたのち、兄弟は母に連れられて曽我祐信のもとへ移り、兄十郎が曽我家を継ぎ、弟五郎は十三歳で父の菩提を弔うため箱根権現に預けられた。五郎が十七歳となり、仇討ちを胸に箱根の山を下ると、北条時政がわざわざ烏帽子親となって元服させ、嫡男義時の弟分として「時」の字を与えて時致と名乗らせたという。頼朝の舅である時政が、頼朝ににらまれていた兄弟をなぜ後押ししたのか、著者はここに時政の政治的な思惑があったのではないかと推理している。
原典より
曽我に引き取られた兄弟は、兄十郎が曽我の家を継ぐこととし、十三歳になった五郎は父の菩提をとむらうため箱根権現に預けられた。—— 神奈川の史実と伝説(小森良章・1975年(昭和50年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
神奈川の史実と伝説(小森良章・1975年(昭和50年))
『神奈川の史実と伝説』は、新聞記者から県政の仕事に転じた小森良章が昭和五十年に著した郷土史の読み物である。倭建命の東征から鎌倉幕府の滅亡までを範囲に、神奈川県内に残る伝説を十一の篇にまとめ、走水の弟橘姫や足柄山の金太郎などを取り上げる。各篇は伝承地を副題に掲げ、伝説とその背景にある史実を結びつけて語り、古事記や吾妻鏡などの記録を引きながら著者の推測も交えている。