正木時忠の墓
どんな伝承か
安房郡南三原村大字中三原字寺谷にある寺(もとは妙本寺とも称した曹洞宗の寺で、浦党の真田某が所領の時に一族の菩提寺とし、元亀年中、正木左近太夫頼忠が父時忠と兄時通を葬るために改めて菩提寺とした)に、正木氏代々の墓というものがある。時忠は正木時綱の第三子で、天文二年、父時綱が死に、兄左太夫が里見氏の稲村城で討たれた際、時茂を誘って勝山城に逃れ、攻め寄せる糟屋内膳を迎え撃って奮戦しこれを殺し、時茂と謀って里見義堯を立てたという。時に時忠はわずか十四歳であった。のち上総興津・勝浦の諸城を領して勝浦城に居たが、後に御原城へ移り、子の頼忠に伝えた。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本伝説叢書 安房の巻(藤沢衛彦・日本伝説叢書・江戸~明治時代)
藤沢衛彦編『日本伝説叢書 安房の巻』を全186話・伝説(1見出し=1話)単位で収録(緒言・序・名義・解説・和歌・注は除外/内包)。所在地(郡村区・社寺)を付して集成。