帰り道の下男が消える姿不見の橋
どんな伝承か
中野長者となった鈴木九郎は、蓄えた金銀の置き場に困り、野中に一本だけ立つ松の下を隠し場と定め、月末ごとに下男へ背負わせて運び、埋めていた。やがて秘密が漏れることを恐れた九郎は、金を埋めた帰り道、神田川に架かる淀橋の上で下男に声をかけ、鐘が鳴るなどと言って気を逸らした隙に斬り捨てた。以後も疑わしいと思うたびに同じ手口で殺し、その数は十人に及んだという。財宝を背負って出た下男がこの橋から戻らないことから、誰言うともなく淀橋は姿不見の橋と呼ばれるようになった。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
城西風土記と昔語り(熊沢宗一・昭和初期~昭和中期)