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このしろの吉兆と千代田の村名

所在地東京都千代田区千代田(江戸城)
年代長禄元年(一四五七年)
登場太田持資、道灌、千代田若狭守、宝田源八郎、築城奉行
出典城西風土記と昔語り

どんな伝承か

太田持資が所領武蔵国荏原郡品川の館から扇が谷へ出仕する途すがら、江之島弁才天に参詣した帰りの船に、一匹の魚が飛び込んだ。取って見ると「このしろ」であったので、持資は、このしろは九の城なり、時に取っての吉兆であると大いに喜んだ。かねて城郭を築こうと思っていた彼は荏土に来て一つの勝地を見つけ、地形も方位も意に叶ったので土地の者を召し寄せて村の名を問うと、御縄張りの内は千代田・宝田・祝田という三ヶ村だと答えた。国の名は武を蔵する、郡の名は豊なる島、村名もいずれも目出度い唱えだと喜び、千代田若狭守・宝田源八郎を奉行として昼夜人夫を励まし、長禄元年丁丑三月朔日に造営を成就したという。

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※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません

出典の文献について

城西風土記と昔語り(熊沢宗一・1959年(昭和34年))

『城西風土記と昔語り』は、東京中野の江古田に住んだ熊沢宗一が昭和三十四年に著し、自ら発行した郷土誌である。中野長者と淀橋の伝説、御犬小屋や桃園の旧跡、新井薬師、江古田の獅子舞、内藤新宿や高田馬場の昔語りなど、中野と近在の伝説・旧跡・寺社を、古文書や碑文、琵琶歌も交えて記す。全二十章の後半には著者の百姓時代や終戦直後の食糧事情、台風の被害、日露戦争の軍隊日誌を収め、巻末に著者略歴を付す。

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