塚穴で生まれた通幻和尚
どんな伝承か
『和漢三才図会』によれば、通幻和尚は丹波の永沢寺を開いた僧で、清水観音に祈って授かった子であった。ところが生まれる前に母が古い廟のそばで亡くなって葬られ、通幻はその塚穴の中で生まれた。成長すると学問で人にまさり、比叡山に登って徳の高い僧となった。のちに禅宗を慕って能登の総持寺の娥山和尚に従い、ついに天下に名を知られるようになり、明徳二年に七十歳で亡くなったという。この永沢寺を、『摂陽群談』は有馬郡母子村の寺としている。
原典より
清水觀音の申し兒であつたが、誕生以前に母が古廟の側に死んで葬られ、その塚穴の中で生れた。—— 福井縣鄕土誌 民間傳承篇(中塩清之助(編)・福井縣鄕土誌・1939年(昭和14年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
福井縣鄕土誌 民間傳承篇(中塩清之助(編)・福井縣鄕土誌・1939年(昭和14年))
『福井縣鄕土誌 民間傳承篇』は、福井市立実科高等女学校の郷土誌第二輯として教諭中塩清之助が編み、昭和十四年二月付の学校長金岡正孝の序を巻頭に置く。丹生郡の名、哭女、越前萬歳、仏の舞、幸若舞、猫塚、隠れ里、子育て幽霊、愛発の関、弁慶譚、八百比丘尼、水の神女譚を、古文献や他地方の類例と照らして論じる。生徒が集めた県下の昔話は類話をA・Bなどに分けて並べて解説を付し、校正者大村四朗の跋を添える。