母子草と永沢寺の通幻
どんな伝承か
『摂陽群談』は、有馬郡母子村の永沢寺の開祖通幻禅師について、俗名を永沢家光といい、因幡の磯崎の人で、母が身ごもったまま亡くなり、土の中で生まれた子だと記している。成長すると仏の道を志し、髪を下ろして母の菩提を弔い、諸国の霊仏を拝んで回るうちにこの地に至り、ついに寺を営んで、自分の家の名をとって永沢寺と名づけたという。また母子村という村の名も、通幻禅師が生まれる前に亡くなった母を慕うあまり、母子草を摘んで三月の節句の餅を作ったことから起こったとも記している。
原典より
さらに母子村の名は通幻禪師が未生以前の母を慕ふ餘りに、母子草を摘んで三月節供の餅を製つたことから起つたとも記してゐる。—— 福井縣鄕土誌 民間傳承篇(中塩清之助(編)・福井縣鄕土誌・1939年(昭和14年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
福井縣鄕土誌 民間傳承篇(中塩清之助(編)・福井縣鄕土誌・1939年(昭和14年))
『福井縣鄕土誌 民間傳承篇』は、福井市立実科高等女学校の郷土誌第二輯として教諭中塩清之助が編み、昭和十四年二月付の学校長金岡正孝の序を巻頭に置く。丹生郡の名、哭女、越前萬歳、仏の舞、幸若舞、猫塚、隠れ里、子育て幽霊、愛発の関、弁慶譚、八百比丘尼、水の神女譚を、古文献や他地方の類例と照らして論じる。生徒が集めた県下の昔話は類話をA・Bなどに分けて並べて解説を付し、校正者大村四朗の跋を添える。