千年狐の人魚料理と玉椿の里
どんな伝承か
『能州名跡志』によれば、羽咋郡富来から二里ほどのあいだに、八百比丘尼が植えたという椿原がある。土地の伝えでは、昔、越中の黒部川の港に玉椿の里という所があり、かつては玉椿千軒と呼ばれるほど栄えていた。その里の長が友と連れ立って都へ上る途中、一人の武士と道連れになった。武士の正体は越後の妙高山のふもとに住む三越左衛門という千年を経た狐で、二人をもてなして人魚の料理を出した。長は口をつけなかったが、友は懐に入れて持ち帰り、その家の女が土産と思って食べ、八百比丘尼になったという。
原典より
馳走すべしとて長を伴ひ行き、人魚の料理を出す、長は食はず、長の友は懐中して歸宅し、其女、土産と思ひて食し、八百比丘尼となる。—— 福井縣鄕土誌 民間傳承篇(中塩清之助(編)・福井縣鄕土誌・1939年(昭和14年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
福井縣鄕土誌 民間傳承篇(中塩清之助(編)・福井縣鄕土誌・1939年(昭和14年))
『福井縣鄕土誌 民間傳承篇』は、福井市立実科高等女学校の郷土誌第二輯として教諭中塩清之助が編み、昭和十四年二月付の学校長金岡正孝の序を巻頭に置く。丹生郡の名、哭女、越前萬歳、仏の舞、幸若舞、猫塚、隠れ里、子育て幽霊、愛発の関、弁慶譚、八百比丘尼、水の神女譚を、古文献や他地方の類例と照らして論じる。生徒が集めた県下の昔話は類話をA・Bなどに分けて並べて解説を付し、校正者大村四朗の跋を添える。