殿様の側室が拓いた沖田
どんな伝承か
中山の田のうち、埴原北の沖田と呼ばれる一帯は、かつて葦や榛の木が茂る湿地で、とても水田にできる土地ではなかった。昔、植原の中島孫兵衛家の先祖の家から、諏訪の殿様に仕えた娘がいた。台所で石臼をひきながら歌う美声が殿様の耳に留まり、側室に取り立てられた。年を経て暇を出される時、殿様は千石の虚空蔵っ原の虚空蔵様を娘の実家近くへ移し、千石の上の大口から水路を引いて沼地を田に開き、その収穫を娘の暮らしの糧とさせた。娘は虚空蔵様のそばで庵主となり、こうして沖田の田が拓かれたという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
長野県史 民俗編 第3巻 3 (中信地方 ことばと伝承)(長野県史)
『長野県史 民俗編 第3巻(三) 中信地方 ことばと伝承』は、長野県史の民俗編のうち中信地方の巻から、伝説の章を抜き出したものである。木・石・水・塚・坂と道・城と屋敷・田と原・地蔵や観音・社寺・地名・禁忌などに分けて、松本・塩尻・安曇野・大町・北安曇・木曽に伝わる言い伝えを短い条で並べる。抜き出しの際に多くの条から採集地の表示が落ちており、土地の名が本文に書かれない条も少なくない。