曽我の涙雨を鎮める永仁の碑
どんな伝承か
漆山で七日七晩も雨が降り続き、川があふれて田畑を押し流したことがあった。これは曽我兄弟の伝説に語られる曽我の涙雨だろうと考えた、池黒三右ェ門家の祖先にあたる甚五郎という人が、兄弟の怨念を鎮めるため、兄と弟の碑を二基建てて供養した。この碑は今では雨乞いの神として信仰されている。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
南陽市史 民俗編
『南陽市史 民俗編』の伝説の節を抜き出したものである。山形県南陽市の白竜湖の由来と東正寺の僧の話、金沢の三坂(七両坂・泣坂・薄雲坂)、猫の宮の猫、二色根薬師、赤湯温泉の起こり、吉野の大黒岩と千人塚、珍蔵寺の鶴、三堀観音などを収める。置賜盆地の湖と温泉と山の寺にまつわる伝えが中心である。