小松殿の恩に報いる博多の松囃子
どんな伝承か
松囃子は毎年正月十五日に博多で行われた。昔はまず貧しい者を雇い、福禄寿や恵比須、大黒天の形をこしらえて馬に乗せ、馬上に蓋を差しかざして囃し立て、最後は車に小童を乗せて舞衣を着せ、車を引いて国主の館へ至り、猿楽の謡を短く謡い、笛を吹き大鼓を打って祝言の舞を演じ、城から帰って博多の市中を通ったという。『博多記』はその起原を、高倉天皇の安元乙未年に小松内府重盛が金子三千五百両を宋の育王山へ施入した際、使者が博多へ来た縁で里民が恩に報いようとして始めたものと説く。慶長以来絶えていたが寛永十九年から再興され、各町が飾り物を出した。
原典より
そして其はやし歌に『松殿や松殿や小松殿や』こ謠つたのが今は訛つて『松やに松やに小松やに』こなつたこ言傳へられる。—— 炉辺叢書 筑紫野民譚集(及川儀右衛門・1923年(大正12年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
炉辺叢書 筑紫野民譚集(及川儀右衛門・1923年(大正12年))
『炉辺叢書 筑紫野民譚集』は、及川儀右衛門が筑紫野で暮らした二年ほどの間に、土地の故老や下宿の老婆から聞いた話、教え子が書き送ってきた物語を文献とも照らしてまとめた民譚集である。筑後を中心に筑前・肥前・肥後・豊前・豊後の河童、怪火、長者の話、神事と歌舞、山と水の伝奇、狐狸や幽霊の怪異を六篇に分けて収め、多くの話に古記録を引いた〔註〕を添える。序の日付は大正十二年六月である。