狐蠱の家の焼き打ちから迷信の触書へ
どんな伝承か
諸民族の妖術信仰では、妖術者への非難・告発・処刑が珍しくない。日本でも憑きもの使いが強く恐れられた時代には、為政者が「犬神使い」や「狐蠱之家」を処刑したり焼打ちにしたりした。出雲の広瀬藩も同じく「狐蠱之家」を焼打ちにしたらしい。村田熙の報告では、鹿児島の種子島でもイヌガミモチを仕置にしたことがあり、元禄十二年(一六九九)の種子島家の「御条目」にはイヌガミモチとの縁組を堅く禁じている。石塚尊俊によれば、こうした殺伐な弾圧は旧藩時代前期までで終り、以後は為政者も憑きものを迷信とみなす態度に変わった。松江藩も寛政の触書でヒトギツネは愚蒙の説だと述べ、むしろ持筋を保護する立場に立った。
原典より
* 妖術の盛んな社会の特色* 憑きものの社会的条件* 憑きもの筋の持続* **注*** **あとがき**### **序章「憑きもの」に憑かれて**—— 日本の憑きもの(吉田禎吾・民俗・憑きもの研究・1972年(昭和47年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本の憑きもの(吉田禎吾・民俗・憑きもの研究・1972年(昭和47年))
『日本の憑きもの』は、吉田禎吾が一九七二年に著した人類学の研究書である。キツネ・イヌガミ・オサキなどの憑きもの信仰と、それを家筋で伝える憑きもの筋を、島根・高知・大分などの村での調査事例と古記録をもとに取り上げ、アフリカやヨーロッパの邪術・妖術と比べて論じる。三章立てで、憑きものの正体と特色、憑きもの筋の形成と伝播、憑きものが村落社会で果たす働きを順に述べ、注とあとがきを付ける。