高野山大学に於ける名講義
どんな伝承か
福来友吉は大正十五年七月から昭和十二年三月まで、十一年十か月にわたって高野山大学の教授を務めた。箕面村桜井の家から電車で通い、山の上では宝城院の離れに泊まった。閑院宮が来られるときのために建てた静かな庵だという。後年、宝城院を訪ねた著者に、福来の講義を受けた老僧がある老婆の話をした。高野山に油桶粗若と一心に唱えるまじない上手の老婆がいたが、高僧から正しい真言に改めよと言われて唱え変えたところ効き目が消え、慌てて元に戻してもやはり効かなくなった。老僧は、言葉にこだわらず奥の原理をつかめばこうした迷いは起きないと福来の心理学を讃えた。ほかの教え子も念写や透視を語る講義の面白さを懐かしむ。
原典より
或る時、高野山の或る高僧が、あびらうんけんそわかである、油桶粗若なんか唱えると罰があたるよ、と聞かされて、あびらうんけんそわかに変えたところ、まじないが効かなくなったので、…—— 念写発見の真相(山本健造・念写・超心理研究・1980年(昭和55年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
念写発見の真相(山本健造・念写・超心理研究・1980年(昭和55年))
『念写発見の真相』は、飛騨に住む山本健造が著した福来友吉の伝記と学説紹介の書で、はしがきは昭和五十五年十一月三日付である。念写を発見した福来の幼少期から、東京帝大での透視・念写実験と追放、宣真女学校長・高野山大学教授の時代、仙台での晩年までをたどり、著者による高山市の福来博士記念館建設の経緯や六次元の原理を述べる。全十五章からなり、第二章に福来の論文「弘法大師の御霊影」を再刊のことばとともに収める。