悪疾の女房に下された御救い籾
どんな伝承か
守山領では、鰥寡孤独など艱難の者への「御救い」が制度として確立していた。病気の者には藩から金が貸し付けられ、あるいは御救籾が与えられたが、まず親類五人組が病者を扶助する義務を負っていた。天保十二年の申渡によれば、三城目村の江戸奉公人喜久太の女房は数年来悪疾を患い、近ごろは手足も甚だ不自由になっていた。近縁の者たちが厄介し、飯料などは村方から志として合力して取り続けさせたが、それでも不足なので言田、渡辺八之丞、渡辺恵三郎がさらに合力したと村役人が申し出たため、御仁恵をもって籾二俵が下し置かれた。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
疫病と狐憑き-近世庶民の医療事情(昼田源四郎・昭和中期(推定))
本書は江戸時代の陸奥奥州守山藩領における『御用留帳』を史料とした、近世農村の医療事情と心霊現象の研究である。狐憑きや物付きなどの精神疾患が、祈禱や指籠入れ(座敷牢)によって治療された実例を14件詳述する。天明・天保の飢饉や流行疫病(疱瘡、麻疹、コレラ等)への対応と並行して、乱心者の社会的処遇、責任能力の鑑別問題、欠落(逃亡)との区別が論じられている。