塵輪退治と奇祭数方庭の起こり
どんな伝承か
下関市長府に伝わる塵輪伝説は、牛窓のものとは細部が違う。熊襲を平らげる拠点として仲哀天皇が神功皇后とともに長府の豊浦宮にいたとき、新羅国の首長塵輪が熊襲をけしかけて攻め寄せた。塵輪は黒雲に乗って海を渡り、空から矢を射かけたため皇軍は苦戦し、宮門を守る阿部高麿・助麿の兄弟も相次いで討ち死にした。怒った天皇は自ら弓をとって塵輪を射落とし、敵は総崩れとなった。喜んだ兵が矛や旗を振って屍のまわりを踊ったのが忌宮神社の奇祭数方庭の始まりで、鬼のような塵輪の首を埋めて覆った石を鬼石と呼ぶという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
妖怪伝説奇聞(東雅夫・2005年(平成17年))
『妖怪伝説奇聞』は、東雅夫が二〇〇五年に学習研究社から刊行した妖怪伝承地の探訪記である。稲生物怪録の木槌、クダン、牛鬼、塵輪、ナメラスジ、八幡の藪知らず、鬼の骨、蛇骨、鍋島の怪猫、児啼爺などを追い、中国・四国・九州ほか各地の寺社や旧家を訪ねて遺物と伝承を確かめる。月刊誌「ムー」の連載「日本伝説紀行」の十二章を三つのカラーグラビアで区切り、巻末に草双紙『鍋島猫騒動』の復刻を添える。