宮城野の原に燃える稚児の執心
どんな伝承か
いつのころか、奥州のある寺の稚児が和歌を好み、宮城野の月と萩を愛でて、月は露露は草葉に宿かりてと上の句を詠んだ。下の句が浮かばず、明け暮れ宮城野に立ち尽くすうちに病に伏して亡くなり、人々は哀れんで塚に葬った。それから宮城野の原では、月の明るい夜や曇った夜に、誰とも知れず同じ上の句を詠じては、わっと叫んで火の玉が燃え立つようになった。師の僧が鉄の如意を携えて月夜の原で待つと、夜更けにやはり火が現れた。僧が大声で下の句を付けて如意を投げつけると、その後この怪は絶えたという。
原典より
其後は仏果得道せしや、宮城野に右の怪も無かりし由。—— 耳嚢(みみぶくろ)(根岸鎮衛・江戸随筆・怪異・1809年(文化6年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
耳嚢(みみぶくろ)(根岸鎮衛・江戸随筆・怪異・1809年(文化6年))
『耳嚢(みみぶくろ)』は、根岸鎮衛(守信)が勤めの合間に古老や訪ねて来た人から聞いた話を書き留め、佐渡在勤のころからまとめ直して文化六年仲秋に結びを付した随筆である。武家・町人の逸話や奇談に加え、狐・狸・幽霊・妖獣などの怪異、羽蟻や虫歯・ものもらいを治めるまじない、薬の秘法を、一項ずつ題を掲げて記す。この本文は著者の自叙と巻之一から巻之十まで(巻之四を欠く)の抜粋で、巻末に著者の結びと『耳嚢副言』の一部を置く。