マミといへる妖獣之事
どんな伝承か
御使番を務め病気で退いた松野八郎兵衛の屋敷は番町にあった。天明六年の春、この屋敷に妖獣が出たと評判になった。松野家に仕えていた吉田某がのちに著者のもとに勤めたので真偽を聞くと、元の同僚から聞いた確かな話だという。ある夜、屋敷内を見回る中間に飛びつくものがあり、棒で打ち払うと棒に食いついてきた。中間は驚いて給人の中村作兵衛の長屋へ駆け込み、作兵衛が飛び出して見ると、犬よりずっと大きく、目は日月のように光り、色は鼠色で、杖で打つと蟇の背をたたくような手応えだった。追い散らすと行方は知れなかった。山の手で屋敷の庭が続く土地柄、古狸か、狸の類のマミだったろうという。
原典より
作兵衛も早速欠出て見るに、犬よりは余程大きく、眼は日月の如く其色鼠、杖などにて打候に蟇の脊を敵くやうにありしが、追々人出て逐散らしけるに、其行衛も知れざりし。—— 耳嚢(みみぶくろ)(根岸鎮衛・江戸随筆・怪異・1809年(文化6年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
耳嚢(みみぶくろ)(根岸鎮衛・江戸随筆・怪異・1809年(文化6年))
『耳嚢(みみぶくろ)』は、根岸鎮衛(守信)が勤めの合間に古老や訪ねて来た人から聞いた話を書き留め、佐渡在勤のころからまとめ直して文化六年仲秋に結びを付した随筆である。武家・町人の逸話や奇談に加え、狐・狸・幽霊・妖獣などの怪異、羽蟻や虫歯・ものもらいを治めるまじない、薬の秘法を、一項ずつ題を掲げて記す。この本文は著者の自叙と巻之一から巻之十まで(巻之四を欠く)の抜粋で、巻末に著者の結びと『耳嚢副言』の一部を置く。