鯛屋源助危難の事
どんな伝承か
駿河国の呉服商で裕福な町人の鯛屋源助は、雪中庵蓼太の門人で俳諧に打ち込んでいた。秋のなかば、鳳来寺のあたりを訪ねようと下男を連れて出かけ、名所を見たあと、さらに古跡を探そうと下男を先に帰し、ひとりで見知らぬ山道へ分け入った。ところがにわか雨に降られて雨宿りの場所もなく、ようやく見つけた山中の長屋門のある家に身を寄せたことから、思いがけず危うい目に遭いかけた。土地の者からわけを知らされ、その助けを借りて、無事に山を抜け出したという。
原典より
駿河国に呉服商売なせる鯛屋源助といへる有徳の町人ありしが、雪中庵蓼太が門人にて風雅の道に執心し、…—— 耳嚢(みみぶくろ)(根岸鎮衛・江戸随筆・怪異・1809年(文化6年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
耳嚢(みみぶくろ)(根岸鎮衛・江戸随筆・怪異・1809年(文化6年))
『耳嚢(みみぶくろ)』は、根岸鎮衛(守信)が勤めの合間に古老や訪ねて来た人から聞いた話を書き留め、佐渡在勤のころからまとめ直して文化六年仲秋に結びを付した随筆である。武家・町人の逸話や奇談に加え、狐・狸・幽霊・妖獣などの怪異、羽蟻や虫歯・ものもらいを治めるまじない、薬の秘法を、一項ずつ題を掲げて記す。この本文は著者の自叙と巻之一から巻之十まで(巻之四を欠く)の抜粋で、巻末に著者の結びと『耳嚢副言』の一部を置く。