符籙が示した遭難者の死体
どんな伝承か
明治四十四年頃、森正隆が知事をしていた時のこと。雄物川の沖合二里に一隻の軍艦が碇泊し、荒天で波が高いなか、秋田中学校の短艇部の学生が二隻の短艇で参観に漕ぎ出した。後の短艇が川口の波の畝りに舵を斜めにして転覆し、七名は救助されたが三名が行方不明になった。二週間たっても死体は上がらず、遺族は酒田港の善方寺の符籙をもらい受け、遭難の場所へ舟を出して流した。符籙は左へ左へと流れて束が解け、ばらばらになった場所へ網を入れると、角田の兄の死体が上がったという。
原典より
* 箱を背負った女の姿 (186)* 姉の死 (187)* 按摩の阿岩 (189)* 北海道から帰った男 (191)* 艮の金神 (192)* 首切り石段 (194)* 大蔵省の大法会 (19…—— 日本怪談実話(田中貢太郎・河出文庫版・決定版・昭和13年編纂(1938年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本怪談実話(田中貢太郎・河出文庫版・決定版・昭和13年編纂(1938年))
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