岡崎宿の当分助郷をめぐる力石村らの対立
どんな伝承か
慶応元年五月、第二次長州征伐にともなって「当分助郷」が拡大され、旗本大島石川家領の力石村・岩倉村・切二木村など一〇か村が、ほかの三五か村とともに岡崎宿の当分助郷に指定された。ところが人馬を雇い切りにする「雇仕切」の役金を出す交渉で高い負担を要求されたため、村々は宿役人と対立し、「如何敷き義」と不信をつのらせて、領主である石川家の大島役所へ始末書を提出している。助郷の拡大は宿場との軋轢をも生んでいた。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
ええじゃないか始まる(田村貞雄・1986年(昭和61年))
『ええじゃないか始まる』は、田村貞雄が一九八六年に著した幕末の民衆運動「ええじゃないか」の研究書である。慶応三年に三河から遠江・駿河へ広がった御札降りの発端を、牟呂村の「二夜三日正月」、御鍬百年祭、吉田宿の助郷騒動、秋葉信仰との関わりから、村方の文書や日記、市町村史の史料をもとに追う。はしがきに続く八章で発端から波及、仕掛人をめぐる諸説、祭の後の「代替わり」までを論じ、主な史料はその原文を別組で示す。